なぜ熱海だったのか①

「なぜ熱海だったのか」(長いです…)

この考えのスタートはたぶん約15年前くらいでしょうか。
もちろんその頃は東京を離れるなんて1㍉も思ってなかったです。

当時、とある仕事をしてました。
あの頃は通信バブルで(ガキだった自分には)給料が良くとてもバブリーな生活を送っていました。

専門学校時代に出会ったMacに酔心して新作が出るたび買い替え、あの時代はハードウェアも高価だったのですが、更にソフトウェアも同様で凄い出費をしていました…

あと車が好きだったので初めて買った車は三菱のとある車種を新車として、その次はトヨタのフラッグシップスポーツカーを連続で同じ車種を買い替えたりと…

今でも大好きJZA80のパープルメタリックラメ入り
遠出・長距離ドライブがとてもとても大好きで、高速道路を一切使わず下道だけで名古屋まで行ったり、別の時はこちらも下道だけで仙台まで、更に別の時はこちらも下道だけで京都・大阪・神戸まで行ったりと、、、運転好きでないと疲労困憊・死んでしまうような一人旅を多々繰り返してましたw

またまた別の時、突然何を思ったのか今度はJRの青春18切符で「行ける限り遠くまで行ってみよう!」と思い当時住んでいた新宿からスタートしてひたすら西を目指しました。

    
実はこの時の画像がまだ残ってるのですがデータを見ると2001年1月。
   
画像解像度は96×128でこれらはサムネじゃなく実寸サイズです。今で考えると小指の爪くらいのアホみたいなサイズw

そしてこの画像はJ-PHONE J-SH04と言うカメラ付きケータイの元祖と言われる名機で撮ったもので、この機種の発売が2000年11月1日で、18切符の旅行が1月初旬です。

当時はこれが最高画質、というかケータイにカメラが乗るなんて考えられなかった時代です。
当然それまではケータイにカメラは付いていない訳ですから、旅行中に写メール(言い方が古いww)なん行っていたのも日本で極々僅かの人数だった事でしょう(笑)

ほんとあの頃は自由だった…
そして楽しかったw

で、途中の大阪で思った事。
ミナミの駅前をふらっと歩いて目に留まったのが、普通に見かける不動産屋の物件紹介の看板です。
驚きました。
「うちの半分じゃん!!!」
その当時、新宿御苑に住んでいたのですがもちろん物件にもよりますがそれでもだいたい全てが半分くらいの相場でした。

話しは変わりまして今住んでるところの理由って何?となるとほぼ二つじゃないでしょうか。

①親が住んでたからそのまま
②職場からの距離を考えて

①は自分が物心付く前から住み続ければ愛着も沸きますし、地元に知り合いや友人が増えてそれに伴って更に愛着は増しますよね。両親にはとても感謝してますがどーも生まれ育った「場所」にはそこまでの思いが芽生えてないのです…申し訳ない

②は自分もそうだったし他の方もそうだと思いますが会社からのアクセスや大学で一人暮らしを始めるなら大学からのアクセスと「職場から何分」で考える訳ですよね。その駅を半径にして〇〇圏内から沿線を決めて準急・急行・各停など勘案して住む駅(街)を決めると思います。
「ほんとうにこの仕事がしたかった訳では無い」「生活の為の今の仕事をしてる」て人も。そーすると臨んだ職をしてないのにそこから通勤圏を考えるその生活ってちょっと・・・てなりますよね。

となると世の中は本当に住みたいとこに住める人はきっと少ないはずで、条件を一段下げなきゃならないとこが多いですがそれをせず「住みたい場所」を最優先にするのって勇気や覚悟や行動力が無いと可能には出来ないですよね。その極めが「こんなところに日本人が住んでる」的な番組などの海外永住者ですね!水や食など日本とは比べ物にならない生活環境でも、飛び立つ時は職が無く生活が不安であろうとも突っ走る。ほんとあの行動力は凄いと思います。
(その方たちに比べればおれはどんだけ安牌を選んでるか)

さて”この考えのスタートは約15年前”から少し時間が経過して
今から10年前「いつか熱海か軽井沢に引っ越す」と親に漠然と話していたらしい。
(覚えてないw
けど当時から熱海か軽井沢は良いなと思ってました。

今までこんな感じで生きて来たからこのよーな価値観が形成されたんでしょーかね。

次はもう少し現実的な「なぜ熱海だったのか」に続きます。

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